1993年に開催された異色のイベント“川崎ミステリーナイト”以来、怪談のトップランナーとして走り続け、今年“怪談ライブ30周年”を迎えました。唯一無二の“稲川怪談”がどのようにして生まれ、なぜこんなにも長きに渡って愛され続けているのか。知られざる背景をひも解いていきます。
――そもそも、稲川さんが怪談を語り始めたのには、どんなきっかけがあったんですか? 1970年代後半に、ひょんなことからラジオ番組『オールナイトニッポン』にパーソナリティーとして出演することになりまして。当時、スタジオには、有名タレントのマネージャーさんや、テレビ番組の作家さん、スタッフさんが大勢いらっしゃったんですね。収録の合間、そういう人たちに怪談話を披露していたら、「面白い」と評判になりまして。それが口コミで業界内に広まって、テレビでも語るようになったというのが、最初のきっかけです。
――楽屋トークが、すべての始まりだったんですね。 ええ。元々怪談が好きだったというのは事実ですけど、まさかそれを商売にするなんて、思ってもみなかった(笑)。でも、メディアで怪談話をするようになると、当時まだ無名だった私に、信じられないくらいファンレターが届きまして。その声に後押しされたというのはあります。もうひとつ、ターニングポイントになったのが、怪談の音声を収録したカセットテープの発売。それが予想外にも30万本以上売れまして。音楽でもないのに、ヒットチャートにランクインしたんです。
――怪談を語るライブ活動を始められたのは、1993年からとのことですが、どのような経緯が? お世話になっていた音楽関係者から「劇場で怪談をやってみないか」というオファーをいただきまして。初めて開催した“川崎ミステリーナイト”は、深夜の開演だったんですけど、会場に大行列ができたんです。その好評を受けて、次の年も開催したんですけど、当時はまだタレント活動の方が忙しかったもので、それほど時間が取れなかった。ただ、いい手応えを感じていたので、3年目からツアーを組むようになって、日程も会場もどんどん増えていったんです。
――世代によっては、リアクションやドッキリのイメージを持っている方も多いと思うのですが、ある時期から怪談の語り部として活動が増えたように感じます。 怪談をメディアで語るようになったのは、45歳のころだったのですが、10年後、55歳のとき、一切のタレント業をやめようと決意したんです。でも、けっして嫌になったわけでも、ダメになって見切りを付けたわけでもない。怪談に全力で取り組みたいという思いがあったんです。そもそも、タレントとしての仕事が減ってきたので、そろそろ怪談でもやろうか…じゃ、ファンの方に失礼ですからね。当時から、とてつもない熱量で書かれた手紙をたくさんいただいていて。それが決断の大きなきっかけになりました。今になってみると、その決断は間違っていなかったと思います。
――ファンの方々の後押しが大きかったと。 私のライブに足を運んでくださる方は、本当に素敵な方ばかりで。大阪の新歌舞伎座でやったときは、アイドルのコンサートのようにうちわやプラカードを作ってきてくれた若い子がいたり、中には浴衣を着たり、仮装をしてきている人もいて。怪談ライブなのに、皆さんとにかく明るい(笑)。よくよく考えてみると、苦しい悲しいって人は、怪談ライブになんか来ないですよね(笑)。
――怪談好きが集まった会場には、独特の一体感があるんですね。 私のライブは、ジェットコースターのようなものなのかなと思います。一度乗っちゃったら、赤の他人でも運命共同体。周りが怖がっていると、「自分だけじゃない」なんて、うれしくなったりして(笑)。実際、公演が終わった後、近くの店で居合わせたファン同士が、交流を持ったりしているらしいんです。私のライブがきっかけで出会い、結婚したというカップルが、知っているだけでも5組。もはや婚活の場になっているんですね(笑)。中には、小さい頃から通ってくれている子もいまして。小学生だったその子が、中学生になり、高校生になり、社会人になって彼氏を連れて来た。それから結婚の報告があって、赤ちゃんを連れて来て。30年という時の流れは、本当に面白いものだなと思います。
――ご自身が、30年続けてきて良かったと感じるのはどんなときですか? やっぱり、ファンの方からいただく手紙はうれしいですよね。あるとき、小学生の男の子からもらった手紙には『僕はまだ小さいから行けないけど、いつか一緒にお父さんと行きたい!』ということが書かれていて。どうやら、彼のお父さんが私のライブのファンのようで。手紙には、『良かったら使ってください』と、怪談話が書かれていた。でもそれ、私がライブで語った話だったんです(笑)。お父さんから聞いたんでしょうね。ただ、それが本当にうれしかった。その子は、お父さんから聞いた話を、しっかり覚えてくれたわけですから。だとしたら、私がいつか“向こう”にいっても、話は残る。それが一番うれしいんです。
――今後の活動については、どんなビジョンをお持ちでしょう。 70代を迎えた今、心境に変化がありまして。私はオールディーズの音楽が好きなんですけど、2年ほど前から、どういうわけか心に響かなくなってきた。それがなぜかと考えてみたら、昔を懐かしむことをやめたからだと分かって。好きだった頃は、過去に未練があったんでしょうね。でも、向こうの世界に片足を突っ込んでいる今の自分は、死を恐いと思っていない。古き良き時代にすがりつくことなく、すごく平静な気分なんです。その分、前を向いている。バックするためのギアがなくなっちゃったんですね(笑)。10年、20年と続けてきて、30年を迎えた今、完全に止まれなくなった。最近、「死ぬまで生きてやる!」って言葉が気に入っていまして。意味は分からないけど、ちょっといいでしょ(笑)。
――最後に、今回の放送を楽しみにしているファンにメッセージを! 怪談というのは、怖いだけじゃなく、とっても楽しいものなんです。恐怖を感じながらも、その時間を心のままに楽しむ。それが本来の怪談だと思うんです。言うなれば、“怖・楽しい(コワたのしい)”のが怪談。いつになってもちゃんとそばにあって、故郷のような味わいがある。だからこそ、怪談っていうのは、どんなに時代が変わっても、皆さん好きでいてくれるんでしょうね。
テキスト:海老原誠二 撮影:和田浩