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木下惠介[1912〜1998]

映画監督。静岡の生まれ。本名、正吉。「花咲く港」で監督デビュー。 庶民の生活や情感を温かなまなざしで描いた作品を多く残す。テレビでも情愛あふれたドラマを提供し人気を集めた。 代表作は、初の国産カラー作品である「カルメン故郷に帰る」のほか、「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「喜びも悲しみも幾歳月」など。平成3年(1991)文化功労者。

昭和の巨匠・木下惠介とタッグを組み、数々の国民的ドラマを創り上げてきた山田太一さん。当時の山田さんにとって、監督・木下惠介とはどんな存在でしたか?

木下さんは大監督でしたし、松竹時代、私が助監督をしていた頃からの付き合いになりますが、スタッフを心から愛し、 我々側近の批評を受け入れる度量の大きさがありました。木下さんが松竹を辞めて“木下惠介プロダクション”を設立した頃、 テレビドラマが増え始め、映画会社は「テレビの大波が来るぞ」と戦々恐々としていました。映画の企画も通りづらくなり、 木下さんは「テレビを学ぼう」ということでドラマを始めましたが、僕に脚本の書き方を教えてくれたのも木下さんでしたし、 ひょっとすると初めから、僕を脚本家にするつもりだったのかもしれません。

’60年代、波乱万丈な大家族ものが流行る中で、時代を捉えながら、シングルファザー&マザーの世界をリアルに描いた「3人家族」(6月放送)は大ヒットに。 山田太一連続ドラマ初脚本作でもありますが、作品への思い入れは?

当時、大家族のドラマを見る度「現実を反映していない」と思っていました。知的な父、情で支える母、年寄りの良識…そして最後はほのぼのと終わる。 現実社会では核家族化が進み、父子、母子家庭も増えていた。就職する際、それだけでハンデになると聞いていたので、「なぜだろう? 人間は苦労した分だけ成長するのに…」と疑問を抱き、 そんな思いをこの作品にぶつけました。「わぁ、恥ずかしい…」と思うようなセリフも出てきますが、当時の素朴なセンチメンタルや願いや恥じらいも楽しんで欲しいです。

’最後に視聴者にメッセージをお願いします!

今後、“木下惠介アワー”より、「3人家族」以外に、「兄弟」、「二人の世界」「たんとんとん」が順次放送されますが、今のドラマを見馴れた視聴者が、 当時の作品をどう見て下さるのか心配になります(笑)。風俗の変遷から時代を知ったり、「昔のバカなやつらが何をやってたか」と、昔の大人や子どもを味わってもらえたら嬉しい。